松下市長、改めて問います。武蔵野市子どもの権利条例で規定する「安心して生きる権利」「自分らしく育つ権利」等の8つの権利は、実現できるのでしょうか?
武蔵野市の子どもの権利条例をたびたび問題にするのは、この条例が、甘い言葉を羅列して「市は子どもの権利を守っているのよ」というポーズを取りながら、実際には子どもの権利を守るべき父母・家族が記述されず、市民に幻想を与えているからです。
例えば第3条で8つの権利が規定されていますが、どのように実現するのでしょうか。
(1)安心して生きる権利
“安心”は気持ちの持ちようを示す言葉です。子どもが安心して生きてるかどうか誰が判定し、どう保障するのでしょうか。子ども自身が「安心して生きる権利が侵害されている」と主張したら、どう対処するのでしょうか。
(2)自分らしく育つ権利
この規定も(1)と同様です。“自分らしく”は判定不能です。子ども自身でもわかっていないのでは。
(3)遊ぶ権利
“遊び”もさまざまで、子どもの希望する遊びを市や保護者は総て保障するのでしょうか。保障できない場合はどうするのでしょうか。
(4)休息する権利
国連の「児童の権利に関する条約」は、児童の長時間の重労働を想定して禁止しています。現在の日本では労働法制が整っていて、児童の休息は十分保護されています。さらに「学校を休む権利」等と主張するのは、間違いです。国連の条約は学校で“学ぶ権利”の実現を締結国に求めているのです。
(5)自分の意思で学ぶ権利
6歳未満の未就学児や15歳未満の義務教育課程では、父母をはじめ親権者が子どもの将来を考えて進学相談にのります。学校の先生もその役を背負っています。当然のことです。0歳から18歳までのすべての年代の子どもに「自分の意思で学ぶこと」を求めるのは、実に空疎なスローガンに過ぎません。
(6)自分の気持ちを尊重される権利
人格が発達過程の未成年にとって「自分の気持ち」は常に揺れ動いています。“権利”として特定することは不可能だし「私の気持ちが尊重されていない」と仮に子どもが主張したら、どう市は対応するのでしょうか。
(7)意見を表明し、参加する権利
権利として取り立てて強調するほどの話ではありません。自由に意見を表明すれば良いし、多数の集団の中では自分の意見が通るとは限りません。スポーツや文化活動等の集団活動を考えればわかることです。日本国は子どもが意見を表明しても誰も弾圧を加えることはありません。
(8)差別されずに生きる権利
差別禁止は、国連の条約の根本規範にあたります。国連の条約では第2条で規定していますが「人権・皮膚の色・性・言語・宗教・政治的意見・・・財産・心身障害・出生または他の地位に関わらず差別してはならない」としています。日本の法制では憲法第14条で平等取り扱いの原則が明示されていて、教育・福祉・社会保障・労働・芸術・研究・宗教・社会参加・政治的意思表明等々まったく差別をしておらず、すでに実現しています。
この条例は単なる理念条例ではないので、執行できないことや既に実現しているものについて屋上屋を重ねる必要はありません。さまざまな可能性を持つ子どもの未来について行政がチャンスを与えるとすれば、どういう具体的施策があるのか追求し実現することではないでしょうか。