直言!土屋正忠のブログ

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菅直人元総理や松下玲子前市長との闘いは、甘い言葉で国民をごまかして票を取る「虚飾の政治」との戦いなのです

松下前市長は平和・人権・多様性・市民参加などと主張した。その言葉は、きれいで響きのよい甘い言葉だが、具体的内容を示していない。

ロシアのウクライナ侵攻・ガザのハマスのテロとイスラエルの報復等、いかに平和を維持することが大変か明白だ。武蔵野市で出来るリアルな平和政策は、極めて限定的だ。平和を語るなら日中・日米など日本国の在り方を語らなければならない。

人権を守ることは極めて大事だが、世界標準と比較して日本の人権を守る法制度と実態は、最も高い水準にある。何が不足しているのか。

多様性の保障というが、2年前に吉祥寺駐輪場売却反対の陳情を出したら、松下前市長はフェイクと決めつけた。陳情は憲法に定められた国民の権利である。権限を持つ市長が陳情者に向かってフェイクなどというのは、独善であり、権力者の作法として誠に失礼だ。多様性など認めないというメッセ―ジである。

市民参加の前提は徹底した情報公開だが、松下前市政の重大な案件に対する市民参加はゼロに近い。その具体例が、市有地の売却だ。吉祥寺駅1分の超一等地の吉祥寺駐輪場売却は他市区に例がなく、市政始まって以来の超重要案件だが、具体の検討が始まって1年半の間、市報やホームページに「売却」の文字は一言もない。

さらに松下玲子氏を政治的に指導する立場の菅直人衆議院議員は、このような不都合な真実に目をつぶって、何も行動を起こしていない。きちんと指導すべきではないか。

政治は国会や政府だけで完結しない。都道府県や市区町村の政治・行政があって、日本国の統治機構が運用されていて、国民の権利が実現する。菅氏の地元、武蔵野市の出来事に無関心な衆議院議員は失格だ。

日本を取り巻く情勢は厳しい。甘い言葉で国民に幻想をふりまく政治との決別が今年の課題であります。

月刊誌『WiLL』3月号に寄稿しました。菅直人元総理と松下玲子前武蔵野市長の公の行為について、具体例を挙げ批判しました。ご一読下されば幸いです

昨年11月、菅直人元総理は引退を発表し、その後継者に松下玲子武蔵野市長(当時)を指名しました。

それを受けた松下玲子氏は11月30日に市長を辞職し、武蔵野市長選挙が行われ、12月24日に自・公推薦の小美濃安弘さんが当選しました。18年間の左翼市政が終焉しました。

改めて菅直人元総理とその弟子・松下玲子前武蔵野市長は公人として何をなし、どんな悪影響を国政と市政に与えたのか。広く国民・市民に知っていただくために具体例を挙げて批判することといたしました。

心ある国民の皆様に、是非ご一読下されば幸甚です。

松下玲子前市長が、吉祥寺駐輪場を売却したことに対する住民訴訟。明日2/8に第9回口頭弁論

●令和6年2月8日(木)午前10時45分

●東京地方裁判所 民事第2部 703号法廷 

●松下玲子市長(当時)が、吉祥寺駅1分の超一等地を民法の契約で隣地所有者企業に売却した。このことによって損害額が9億9870万円発生した。松下玲子氏に、この損害額を市に返還することを求めた住民訴訟。

岸田総理をトップに能登半島地震復旧・復興本部を設置することは大きな一歩。さらに金沢市に現地事務所を!地元でなければ、わからないことがある

1/30の施政方針演説で、岸田総理が能登半島地震復旧・復興本部の設置を表明しました。

さらに踏み込んで、金沢市に各省と県の合同の現地対策本部を設置することを再度、提言します。というのも、能登半島は珠洲市(1.4万人)、輪島市(2.6万人)、七尾市(5.3万人)があるものの、半島全体に過疎地域が拡がっています。そこに西南から北東にかけて、広域で群発地震が2年間に1500回も発災(1/28読売新聞)し、収まりつつあるといえども、その影響は計り知れません。

“過疎”地域をどうするかという、日本全国の根源的問題に直面しています。広域自治体の石川県がどう考え、復興デザインをどのように創るかが大きいです。

象徴的にいえば全倒壊家屋を元通り復旧するのか?その費用は?生業の再建というが、田畑中心の農業、酪農、林業、醸造業、漁業、建設業、観光、輪島塗等の伝統工芸など多様です。だからこそ、現地の実情を肌感覚で知る石川県の役割が大きいと思います。であるならば、被災地に近く、石川県の人々の心理的中心“都”金沢市に政府の本部の現地事務所を置き、県・市・町が一体となって、復旧・復興に向けての総合計画を立てるべきではないでしょうか?

国土交通省・農水省・観光庁・環境省・経産省・文科省・総務省等、個別ではなく、政府全体として前進基地を設けることが大事です。

能登半島全域は1699㎢で23区と三多摩全体を合わせた面積があり、人口は3市3町合わせて13.8万人。東京の1/100です。

能登半島地震の復旧・復興問題は、過疎をどうするのかという日本が抱えている問題に正面から取り組むことになります。ちなみに過疎地域は一部過疎を入れて全土の60%を超えています。石川県を中心に政府を挙げて取り組まなければなりません。

立憲民主の安住国対委員長「自民党派閥のキックバックが明らかにならないなら、予算審議遅れるかも」と語る。事の大小を間違えている

本日1/30の正午のNHKニュースでの発言。事柄の大小をわきまえない、典型的な無責任発言だ。だから、自民党の支持率が下がっても野党の支持率が上がらない。

日本の最大の課題は、中長期的には経済と安全保障・東アジアの平和と安定だが、当面は能登半島地震の救援と復興ではないか。さらに、1/2に羽田空港で起こった航空機事故の原因の究明と再発防止です。

特に航空機事故は、発生以来一カ月が経過しようとしているが、その後のことが報道されていない。毎日の航空機利用客は、不安を抱えたまま利用しています。

派閥のキックバックの記載漏れは、すでに3人の現職国会議員が、東京地検特捜部から容疑者として逮捕されたり、任意の事情聴取を受けているし、一人は責任をとって辞任しました。

野党は能登半島の被災地で救援を待つ人々の気持ちをくみ取ることが出来ないのだろうか?

航空機事故後に不安を抱えながら利用している乗客や操縦士の気持ちを忖度できないのか?

極めて残念だ。

最大野党の立憲民主党が言うべきセリフは
「派閥のキックバック問題や政治改革は政治の信頼がかかっている。これからもしっかり取り組むが、まず能登半島地震の被災者の救援・復興が最優先だ」
「1/2の航空機事故の究明を早期に行うべきだ」
ではないか。

コロナパンディミックと最前線で戦ったふじみの救急病院長・鹿野晃医師が東京都小平市に救急病院開設

2020年1月、新型コロナ感染者が日本で確認され、未知の感染症に日本中が不安で大混乱。通常の医療と、どう安全に隔離して治療するのか?

その時敢然と立ち上がったのが、埼玉県のふじみの救急病院の鹿野晃院長でした。自ら先頭に立って、医療スタッフを督励しながら大活躍しました。PCR検査は1日1000件を超える日もあったとのこと。その経験を活かして、鹿野晃医師は東京都小平市に132床の“むさしの病院”を開設しました。

むさしの病院の経営方針は「スピード」「コンビニエンス」「コミュニケーション」
① スピード ハイブリッドER:救急は一刻を争います。検査と治療を同時に同じ場所で。
② コンビニエンス:24時間365日、ためらわずに受診を。小さな症状の中に重大な疾患が隠れているかもしれません。
③ コミュニケーション:救急病院でありながら気軽に相談できる、かかりつけ医になります。

鹿野先生は武蔵野市に在住で、私の友人、同志でもあります。そのご縁で内覧会に参加しました。

2月1日(木)診療開始です。

岸田総理に提言します。政府の能登半島地震復興本部の現地事務所を金沢市に開設してください!

霞が関の理屈から言えば、熊本地震でも現地復興本部は作らなかった。現地本部を仙台に立ち上げたのは東日本大震災で、被害が岩手・宮城・福島をはじめ東北全体に広がったからと言うでしょう。

しかし、能登半島全体に過疎地域の集落が点在していて、道路・水道・下水の生活インフラの被害が広域に渡り、家屋の倒壊も1万数千戸。産業も田畑を中心の農業・酪農・果樹・漁業・観光・伝統工芸等多岐に渡って被害を受けた。私財を含む被害総額は数兆円で、復旧には時間もかかる。倒壊家屋を捨てて、離村する人も出てくるのでは?

倒壊家屋が延々と続く場所や、その周辺で観光するのか?のと鉄道の復旧は?地域の人々が未来に希望を持てなければ、多くの国民も暗澹たる気持ちになる。

阪神淡路の時は、ダメージを受けた神戸市は150万人都市で力があった。そして、東30kmに大阪市(260万人)、西40kmに姫路市(47万人)などの都市があった。

岸田総理、国は能登を見捨てないという力強いメッセージを出してください!
政府の信頼回復につながり、国民に勇気を与えることでもあります。

北陸鉄道が金沢と輪島、珠洲などの被災地を往復する特急バスを運行開始。1カ月は無料とのこと。

石川県全体の45%の人口が集中する県都の金沢市。物資とエネルギーの拠点であり、県民にとっては心の拠所でもある。

被災地の人々にとって、金沢と定期的につながったという安心感は計り知れないほど大きいことでしょう。しかも1カ月無料です。

地域に根差して、鉄道やバスを営業する北陸鉄道に東京から拍手を送ります。これから北陸を旅する時は、北陸鉄道・バスに乗りましょう。

地震による家屋の倒壊、土砂崩れ、道路寸断、火事、津波、液状化現象、海底隆起、さらに大雪が追い打ちをかける。能登半島地震は全ての現象が起こった。過去50年間で初めての天災です。

石川県は面積が東京都の2倍で、人口は1/13の110万人が住んでいる。集中的被害があった能登半島は、県都の金沢市(46万人)から北に延じた“くの字”型の半島で、半島中央が山地で東西北が日本海に面している。産業は観光・田畑の農業・酪農・漁業・伝統工芸。高齢化率も高く、能登半島に住む人々の生活が元に戻ることは容易なことではない。長い年月がかかるだろう。

地震の規模は、被害の状況で東日本大震災と比較すると相当小さいが、地震のエネルギーはM7.6で、阪神淡路のM7.3を上回る。一カ月近くが経過し、救助から救援・復興の段階に移るが、政府が本腰を入れないと復興はおぼつかない。

政府は3月・4月の旅行シーズンに北陸割りで2万円の補助を決めたが、発災以来一カ月も経過しないうちに「観光を重視します。どうか東京、大阪から旅行に来てください」と呼びかけるのには違和感を感じる。3月の北陸新幹線の敦賀駅まで開業も念頭にあるのだろうが、今は救援が第一ではないか?自衛隊・消防・警察・DMATなどの医療や介護チームが最前線で奮闘している。その真っ最中に旅行割り?

2月の末から3月にかけて、人心が落ち着いてからでもよいのではないか。北陸旅行割りは、現地の空気が分からない永田町、霞が関にいて考えた政策のように思える。

政治改革は政治の手段であって、目的ではない。現下の最大の政治目的は能登半島の人々を救うことと、羽田の航空機事故の究明と再発防止ではないか

政治改革は国民の信頼を取り戻すための重要な課題だが、それだけでは国民の期待に応えられない。

能登半島地震で苦しんでいる人々、そしてこれからの生活をどう見通しをつけるか不安に思っている人々に希望の光をあてる。これが現下の最大の政治課題だと思います。復興に時間がかかっても、地元を尊重し、政府をあげて取り組むというメッセージを出してほしい。

もうひとつ忘れてならないのは、1月2日の羽田の航空機事故です。海上保安庁の優秀な隊員が5名犠牲になりました。誠に残念です。心からご冥福をお祈りします。

さらに、機長とCAの適切な判断と措置により、379名の乗客・乗員が危機一髪の中、全員無事だったこと。「大丈夫、大丈夫、乗務員の指示に従えば大丈夫」という乗客男性のあの一声が、どれだけ乗客を落ち着かせたか。奇跡の全員生還は、機長とCAの判断と乗客の沈着冷静な対応によって実現した賜物です。そのことは私たちに勇気を与えてくれる。

しかし、何が原因でこのような事故が起こったのかの真相究明と、これからの再発防止には何が必要なのかをきちんと検証し、国民の前に明らかにする責任が政治にはあります。安心安全な空の旅を続けるために。

政治の最優先事項は何か。1月26日 通常国会開会。

武蔵野市は能登半島地震の救援に、隣接する富山県南砺市(姉妹都市)を通じ、実情に合った支援を願い、100万円の支援金を支出する

武蔵野市には大規模災害被災地支援に関する条例がある。平成7年の阪神淡路大震災の時に制定した条例です。この条例は、被災地から要請がなくても市長の判断で支援できるという、いわゆるプッシュ型支援を規定した条例です。今回の能登半島地震はM7.6という阪神淡路大震災に匹敵する規模で、生活インフラが崩壊しています。

さらに、支援をしたいという市民の気持ちが3日間の街頭募金でおよそ100万円集まり、石川県の共同募金会に送ったばかり。その気持ちを活かすため、市として、別途100万円の支援金をおくることになったそうです。

石川県に隣接する富山県南砺市(旧利賀村)が姉妹都市なので、実情を把握している南砺市に100万円を送り、適切な支援をお願いすることに決定しました。

市長・議会各々50万円で100万円ですが、小美濃市長は必要に応じて追加するとの意向だそうです。

能登半島地震の被災者を救援・復興するのは石川県の知事以下が前面に立って、今何が必要かを訴え、政府に要請すると共に、広域の支援を呼びかけるべきだ

能登半島地震はM7.6。1995年の1/17の阪神淡路大震災がM7.3だから、それを上回ります。

地震の犠牲者は232人(18日午後)。犠牲者の中には奥さんと三人のお子さんを一度に亡くされた方もおり、実に痛ましい。

阪神淡路大震災は5600人の犠牲者が出ましたが、当時神戸市は人口120万人で、1市だけで石川県全体の人口に匹敵します。能登半島の被災地は珠洲市が面積247㎢・人口14000人、輪島市が426㎢・26000人で、2市の面積を合計すると東京都23区を超えています。過疎地域に、いかに人々が分散して暮らしているのかが判ります。

救援活動も困難を要するし、復興となると、さらに長期間に渡って困難が待ち受けます。

まず、石川県は救援に何が必要か、首都圏の地方公共団体を含め広域に呼びかけてください。気持ちと能力があっても、何をすれば良いのか迷っている地方公共団体も多いと思います。

岸田総理の真意が伝わらない能登半島地震対策。47億円では少なすぎる。最初に予備費1兆円を打ち出し、必要な復興経費に充てると打ち出すべきだった

10日ほど前に岸田総理が能登半島地震の救助救援に47億円を予備費から支出すると語った時、ゼロが二つ違うのではと思った。その後、予備費を1兆円に積み増すと発言したのを聞いて「先にそれを言うべきではないか」と思った。

岸田総理はパフォーマンス型の政治家ではないと思いますが、まず掴みで予備費1兆円と発表し、石川県能登半島の人々と国民を安心させて、逐次支援策を実施する。

総理の周辺には、総理の真意・心情をくみ取る情報の出し方をしてほしい。

能登半島地震で救援活動を妨げる要因ー珠洲市は、都23区の40%にあたる広い面積に集落が70か所。人口14000人

珠洲市の面積247㎢(都内23区の面積の40%)の広い地域と、人口14000人。集落の数が70か所。一ヶ所に平均200人が暮らしています。道路が寸断されている広大な過疎地域に集落が点在。救援活動の困難さが思いやられます。自己完結型の陸上自衛隊が頼もしい。

県道・市道の復旧には国の代行工事が必須。岸田総理は非常災害指定を決め、これで代行工事が出来ます。広域から人・物・器材を投入することが大事です。

西高東低の気圧配置が強まり、大雪の気配。

官邸の中枢に地方自治の実態がわかる、総務省関係者が必要だ。

武蔵野市と姉妹都市の富山県南砺市は、被災地の石川県・能登半島と隣り合わせーオミノ武蔵野市長が、元旦いち早く連絡をとって無事を確認しました。その後は支援する側にまわり活動を続けているという

能登半島地震から10日ほどして、南砺市の田中市長と電話がつながりました。

「オミノ安弘市長から連絡をもらって、心強かったです。すぐに姉妹都市のことを心配してくれるとは、さすがですね。幸い南砺市は被害がほとんどなく、負傷者も出なかったです。現在は能登半島の各市を支援する側に、まわっています」とのこと。被災地の現状をよく知り得る地の利を生かし、心の通った支援が期待できます。

武蔵野市は富山県利賀村と昭和47(1972)年に姉妹都市盟約を結び、50年間、市長が代わっても交流を深めてきました。その後、周辺町村と合併して南砺市になりましたが、田中市長は利賀村出身で旧知の仲です。

発災から2週間近く経過しているので、そろそろ連絡してもご迷惑かからないのでは、と思い、昼休みに連絡しました。

自衛隊の大型ヘリが、能登半島地震の被災者を愛知県の病院に移送の映像。ありがたい。ー同時に慣れない環境でこれから療養する人々の心の健康を祈った

病院はエアコンで暖かく、医学的ケアも十分だ。

しかし住み慣れない場所で過ごす被災者の孤独・不安もある。

難しい判断だが、1日も早く住み慣れた場所に帰れる日を!

武蔵野市民社会福祉協議会のボランティア10数人が曇天・気温5℃の中、能登半島地震支援募金活動を行っていましたー「寒いのに」と声をかけたら、「被災地はもっと寒いと思います」

昨日11日の昼に三鷹駅北口で10数人が募金を呼び掛けていました。曇天冬日です。

知り合いの顔も多く「ありがとう、今日はあいにく5℃の冬日で寒いですね」と声をかけると
「厚着してきました。でも被災地の能登は、もっと寒いと思います」と。

ささやかながら募金をしたら、小さなメモをいただき「石川県共同募金会に全額送ります」と書かれてました。

能登半島地震の規模はM7.6で、阪神淡路大震災のM7.3を上回り、過去30年で類例のない地震です

武蔵野市長として、さらに衆議院議員時代の総務副大臣を務めるなど、長らく防災の責任者として働いてきた者として、能登半島地震の発災とその後の救助救援活動を注目し続けています。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、52名(1/10現在)に及ぶ安否が確認されていない方々が、安全に暮らしていらっしゃることを祈ります。同時に避難所で暮らす方々が健康に過ごせるよう、与野党は党派を超えて協力してほしいと願っています。

2011年の東日本大震災の規模は、M9で過去100年に世界で4~5回しか発災しない規模でした。パワーの大きさからいえば、今回の能登半島地震は1995年1月17日発災の阪神淡路大震災に匹敵します。

能登半島地震が過去30年に起きた地震と比較して類例がないと考える現象は
① 2年余りに渡って中程度の地震が続いたこと。その後、1/1午後16時10分のM7.6の地震が起こったこと。
② 報道によれば、震源地が比較的浅い場所で発災して、さらに震源が広域に渡っていること。9日には佐渡島と能登半島の中間近くにも広がりました。 
③ 地震・津波・火災・山崩れ・大雪(冷雨)等、考えられる全ての現象が起こっています。 
④ さらに南北に長い半島で、海岸線に位置する集落が多く点在し、道路が寸断されたこと。

きちんとした専門家の調査分析によらなければなりませんが、報道から見る現象の印象です。

復興が長時間かかることは当然予想されますので、これから数年かけて政府をはじめ、国民全体で出来る支援を続けようではありませんか。

オミノ安弘新武蔵野市長誕生、暮れの挨拶廻り、能登半島地震、羽田空港衝突事故、府中市賀詞交歓会、月刊誌ウィル取材、武蔵野市賀詞交歓会ー年末年始10日間

毎年12月29日~1月3日までの年末年始は挨拶廻り・初詣・答礼の年賀状書きが恒例ですが、今年はオミノ新市長誕生と能登半島地震等まで、よどみない日程となりました。

昨年12月24日午後10:45にオミノ新市長当選確定!マスコミに囲まれた第一声が素晴らしい。「私を支援してくれた人も、支援してくれなかった人も含め、14万人全市民の生活を支え、責任を果たします」と。

9時間後の翌25日午前9時、多くの職員と議員に迎えられてオミノ新市長は市役所に登庁しました。引き続き、滞った決裁と各部からのヒアリングが続いたとのことです。暮れに語った言葉「市長職が、こんなに忙しいとは思いませんでした」

1月7日(日)の賀詞交歓会では、元旦の夕刻に発災した能登半島地震で、姉妹友好都市の南砺市(旧利賀村)・長岡市(旧小国町)・酒田市の状況を直ちに調査し、幸いにも重大な事態になっていないことを確認したとのスピーチ。「自身の当選の御礼を一言も語らなかったのが、素晴らしい」と出席者の感想。

オミノ安弘新市長は、堂々と順調にスタートしています。
公約通り、武蔵野市を立て直してほしい。

謹 賀 新 年

●武蔵野市長選挙が昨年暮れに実施され、保守・中道良識派のオミノ安弘さんが当選されました。ご支援に心から御礼申し上げます。

●武蔵野市が再び輝く時代が参りました。武蔵野から日本を立て直しましょう。

●「人生は明日にあり」

今年1年間の皆様のご健勝をお祈りし、年頭の挨拶といたします。

令和6年 元旦

事務所は、明日29日から1月4日まで休みとなります

1年間、私のブログを読んで下さった方々に感謝!感謝!です。

皆さまにとって、令和6年が良い年になりますようお祈りいたします。

自・公推薦のオミノ安弘さんが勝った武蔵野市長選挙。本人の力、市議会議員の団結、500名が立ち上がった市民パワー。むさしの愛の結集です

11月14日(火)オミノ安弘市議(当時)から朝電話があり「昨夜、市長立候補の決意を家族に話しました。全員から、市政のために頑張ってと激励されました。これから同じ会派の市議に立候補の意思を話し、協力を求めます」とのこと。オミノ令夫人をはじめ、若い世代のご子息、お嬢さんが献身的に一カ月余り戦い、候補者を支えました。

第二の力は、会派を同じくする自由民主・市民クラブの6名の市議でした。連日連夜12月議会の合間をぬって、政治活動用のオミノさんとの二人(二連)のポスター張り。選挙公約の作成。支援者を集めてのミニ集会など大活躍。「あんなに一生懸命やっているのは、自分の選挙以上だね」との地元の声も。さらに公明党市議の皆さんも“推薦”が決まる前から「オミノさんの資料は、ありませんか」と訪れてくれました。

11月28日(大安)に記者発表し、オミノさんは地方自治の原点「住民の皆さん中心で戦います」と決意を述べました。

市議の支援の輪はさらに拡がり、中道・リベラルの方からも「集会には出れないけれど、応援します」そして政策提言もいただきました。

12月9日(木)のオミノ安弘決起集会を開催して、松下市政の欠陥の指摘と是正、主要な政策を発表。急な呼びかけにも関わらず、200名の市民が結集。資料が足りなくなるほどでした。ゲストスピーカーの長島昭久衆議院議員が「定刻15分前から椅子席がいっぱいですね。市民の熱気を感じます」と。

戦略は
① 市政の欠陥の指摘と是正 
② 武蔵野の未来について9つの具体の政策をつくる 
③ これらのビラを一人でも大勢の市民の皆さんに読んでもらい、一票の判断をしていただく(新聞折込だけでは限界があるので、全戸各戸に56000枚のビラを配布する。そのためには100名以上の市民の参加協力が必要)

選挙告示前日の12月16日(土)に三鷹駅北口駅前広場で集会を開き、300名の方が集まってくれました。そこでお願いしたのは「ビラは未だ出来ていませんが、やがてお願いの連絡があると思います!」と。

選挙終盤の21日(木)・22日(金)の二日で、全市に配布する作戦。ボランティアさんの依頼に市議さんたちは大苦労。市民の先頭をきって、自ら配布も。事務所にビラ配布を手伝いたいと訪れる市民も出始め、手応えあり。オミノ候補者本人も演説に熱が入ります。それ以外にも、車の運転・朝夕の駅頭のビラ配り・電話作戦等500名のボランティアが戦列を担いました。

福田かおる(自民党東京18区支部長・次期衆議院議員選挙候補予定者)さんと事務所スタッフもポスター張り・公選ハガキの整理・街頭遊説と大活躍。

オミノ安弘さん市長立候補決断から40日間の本人・家族・市議・市民が一体となって戦い切りました。

結果が339票差の勝利。「武蔵野を立て直す」第一歩となりました。

「オミノ安弘さん勝利の最大のポイントは、どこにあるとお考えですか?」とマスコミから聞かれました

「武蔵野市民が立ち上がって、500名近いボランティアによる選挙が出来たことです」と答えました。

マスコミの皆さんは、異口同音に「この数カ月、岸田内閣と自民党の支持率が右下がりで、その上、派閥のパーティー裏金問題が起こり、松野官房長官他が辞任するという状況でしたからね。自・公推薦では当選は難しいと思っていました」と。
その通りです。大逆風だったので、政党に頼らず、地方自治の原点に返り、市民中心で戦うしかないとオミノ安弘さんとも話し、市民にお願いしました。
心ある市民の皆さんが立ち上がって、数百人の人たちが直接支援してくれました。全市各戸にビラ配りを100人以上の人が協力して、選挙終盤の木・金曜の2日間でやりとげました。
選挙カー・先導車・確認団体車の計3台を1日3交代で、総てボランティアでやりとげました。集会を3回行いましたが、総て200人を超える市民が結集してくれました。400~500人近い市民が直接参加し、支えてくれました。

「いつ、当選の手ごたえを感じたのですか?」とさらに質問。
それは、最終日の前日、22日金曜日です。相手の候補者のビラが新聞折込で配布されましたが、そのビラが月曜日に配布されたものと内容が全く同じだったのです。さらに、その内容も抽象的な記述に終始して、政策といえるようなレベルではありませんでした。これでは、良識ある武蔵野市民には評価されないだろうと思いました。

オミノ安弘さんと私たち「武蔵野市政を立て直す会」が作成したビラは、第1号が現状の問題点と是正策。第2号が9項目の具体的政策の提言ですから、その差は歴然です。
相手のビラが折り込まれたその日、金曜日に私たちの具体性に満ちた政策ビラを市民ボランティア100名が一斉に配っているのですから。その時、勝利を確信しました。大逆風の接戦だが、負けないだろうと。

私は市議会議員・市長・衆議院議員と48年間で13回、自分の選挙を戦いました。もちろん、都知事や他市の市長・衆議院・参議院選挙など、応援で100回以上戦いました。その経験から今回の市長選挙を見た時、オミノさんが実力者。市民が燃えている。企画したことが全てツボにハマっていて、手応えがある。こういう時は勝つとは言えないが、決して負けないと思っていました。

一言で言うと、ふるさとを守ろう、立て直そうと“むさしの愛”のある市民が立ち上がった勝利だと言えます。

オミノ新市長は、昨日9時から市役所に登庁して公務についているのですが、公約どおり、武蔵野を立て直してほしいと期待しています。

武蔵野市長選挙 自・公推薦のオミノ安弘さん、大逆風の中で激戦を制し大勝利!!市民の良識が勝つ

オミノ 安弘  27,024票 当選
笹岡 ゆうこ  26,685票

市議会議員補選
山崎 たかし  15,153票  当選
菅 源太郎   13,894票  当選
ますだ 玲子  10,383票  次点
鈴木 なりさ    9,527票
やなか 竜雄    1,593票
村上 あき     1,306票

ご支援をいただいた市民のみなさまに感謝いたします。

高杉晋作の功山寺挙兵の時に作った端唄「惚れて通うは今宵限り、一夜明ければ皆な来る」これが、私の感じです

市民の皆さんから、「オミノさんに勝ってほしい。情勢は、どうなんですか?」と聞かれます。

そこで「政治活動・選挙運動は相手候補の10倍やったと思います。市民の皆さんの良識が、結果に反映されるのではと信じています」と述べて、明治維新の英傑の高杉晋作の端唄(表題)を申し上げています。

市民の皆さん、投票に行きましょう! 

※高杉晋作の作った端唄は、いくつかの説が伝わっています。