「西岡真一郎小金井市長のHPで小金井市政への実績の第一が中央線の高架事業推進とある。事情を知る市民から本当ですかとの問い合わせ。」

「西岡真一郎小金井市長のHPで小金井市政への実績の第一が中央線の高架事業推進とある。事情を知る市民から本当ですかとの問い合わせ。」

政治家は自分の実績を誇張するものだが、40年に亘って中央線高架化事業に携わってきた私の記憶には西岡氏の印象はまったくゼロだ。

改めて事実を明らかにするため経過を書きます。

●昭和44年 JR中央線荻窪~三鷹間、高架複々線事業完成。その後、三多摩各市は三鷹~立川間連続立体複々線推進協議会を結成し、東京都・国に働きかけるも特別区23区同様「地元自治体負担ゼロ」を主張していたため停滞を続けていた。(全国のルールでは都道府県5割、市町村5割負担。尚、特別区23区は固定資産税・都市計画税を都が課税しているため負担ゼロとなる)

●昭和54年 鈴木俊一・都知事当選、都の財政再建を果たす。

●昭和57年 鈴木俊一知事の下、マイタウン構想によって中央線高架化事業の具体化に向けた調査が始まる。

●昭和58年 土屋正忠・武蔵野市長が当選。同年秋、沿線6市の市長会議で地元負担やむなしと土屋市長が主張、沿線各市は地元負担を容認する方針に変更。当時の市長は小金井市・保立市長、三鷹市・坂本市長、国分寺市・本多市長、国立市・谷市長、立川市・岸中市長であった。翌年、東京都市長会にて正式に地元負担を決定し、負担割合は都7割、市3割に決定した。

●昭和61年11月 国鉄分割・民営化関連法の成立により、国鉄が全国6社とJR貨物の計7社に分割が決定。高架化事業は一旦凍結される。

●昭和62年4月 東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)が誕生。

●昭和63年 鈴木俊一東京都知事、水村一郎都議会自民党幹事長らが奔走し、JR中央線三鷹~立川間連続立体化事業の具体化に向けて取り組む。その年の12月に、土屋正忠・武蔵野市長がJR東日本本社を訪問し、細谷英二投資計画部長に都との協議再開を要請。

●平成元年1月 JR東日本の松田昌士常務が都知事を訪問し、具体化に向けて協議することに合意。

●平成元年 平成元年度予算に東京都が1億円の調査費を計上。都・JRで調査委員会発足、委員長は新谷洋二・東京大学教授が就任し、具体的調査が始まる。

●平成3年4月 鈴木俊一都知事が四選を果たし事業化を強力に推進

●平成6年 同年5月に都が都市計画決定。平成7年11月に国が事業認可。

●平成7年4月 青島幸男・東京都知事当選。

●平成11年3月 青島都知事のもと起工式。同年4月石原慎太郎氏が東京都知事となる。同月、稲葉孝彦・小金井市長就任。

●平成12年 武蔵小金井駅北口で、工事クレーンを生産緑地に建設するため、租税特別措置法の改正を小金井市・稲葉市長と武蔵野市・土屋市長が橋本龍太郎元総理大臣に陳情。

●平成13年 租税特別措置法の改正法が成立。生産緑地内への工事クレーン設置にともなう課税が免除となり、支障なく工事をすすめられることになった。

●平成22年 三鷹~立川間連続立体交差事業の工事完成。踏切が解決される。事業総額1700億円余りのうち、750億円が国庫負担金である。

●平成25年度 事業化の清算が行われ、JR東日本・国・都・地元沿線市の負担金が確定。

以上がJR中央線三鷹~立川間連続立体交差事業の重大な場面での出来事である。

私は武蔵野市議、武蔵野市長、衆議院議員として40年間、様々な係わり合いを持ったが、西岡真一郎氏がこの事業に貢献したことはまったく記憶にない。

市長職は世の中の基準となるべき重大な職務だ。これでは国・都・JR等関係者から信用されないだろう。