諫早湾干拓事業の是非をめぐり、3/2の最高裁判決で国が勝訴。開門しないと決着がついた。約26年かかったが、ここまで長引いた責任は2010年に菅直人総理(当時)が、国敗訴の高裁判決を最高裁に上告しなかったことが原因だ

諫早湾干拓事業の是非をめぐり、3/2の最高裁判決で国が勝訴。開門しないと決着がついた。約26年かかったが、ここまで長引いた責任は2010年に菅直人総理(当時)が、国敗訴の高裁判決を最高裁に上告しなかったことが原因だ

諫早湾を干拓して主食の米の増産を行おうというような国の事業は、食糧難で国民が飢えていた昭和20年代から全国各地で始まった。完成した代表例は秋田県の八郎潟干拓(現・大潟村)で、中止したのは島根県の宍道湖などである。諫早湾は干拓を推進する国と地元の漁業者が対立し、各種裁判で争われた。海水を遮断する水門は完成したが、その水門を開けるべきという訴訟があったのだ。

2010年の菅直人総理の時代に、干拓を進める国(農水省)が高裁で敗訴した。普通、国が敗訴した場合、最高裁に上告し、最高裁は総合的に考えて調整のために高裁に差し戻す等の判断をする。ところが、菅直人総理が上告をしなかったため国敗訴の判決が確定してしまった。それから今日まで訴訟合戦が続いていたのである。途中経過は承知していないが「なぜ国は上告しないのか」と強く印象に残った。

総理になったら何でも出来るなどと考えていたのだろうか。菅直人総理のような「法の支配」をきちんと理解していない責任者が出現すると、世の中に“混乱の種”をばら撒くばかりだ。