8月6日風化する原爆忌、50年前20代で初めて訪問した時の生々しいショックを思い出す―非戦闘員を無差別大量に20万人も殺戮した戦争犯罪である

8月6日風化する原爆忌、50年前20代で初めて訪問した時の生々しいショックを思い出す―非戦闘員を無差別大量に20万人も殺戮した戦争犯罪である

社会人となって3年目の昭和43年、旅行で九州に行った帰りに広島に途中下車して、原爆記念館を初めて訪問した。
陳列物や焼け野原になった市街地の写真、その一角には銀行の石畳に残る人間の跡。高熱で一瞬にして焼け蒸発したらしい。写真に残る犠牲者の夥しい焼死体や、被害者の生々しいケロイドの跡、思わず声にならず前に進めなくなった。
それ以来、折に触れて現代の戦争の市民を巻き込んだ無差別の悲劇を考え続けてきた。原水爆は人類の破滅だ。戦争は起こしてはならない。そのためのリアリティある戦争抑止力をどう構築するか。政治家としての根本的使命だと思って今日まできた。

その後何回か訪問したが、その都度展示物がマイルドになっているのに気が付いた。館長さんに尋ねると、以前の展示はリアリティがあり過ぎて若い世代では卒倒する人が出たり、もう広島には二度と来たくないという感想文が見受けられたりして、その後数回展示方法を変えたという。
無理もない。20代半ばの私でさえショックを受けたのだから、10代の高校生の多感な時期に観たらショックで立ち直れないかもしれないと思った。

6年前イスラエルを訪問して、ナチスのホロコースト記念館を訪問した時も30~40年前に見たドキュメンタリーから見ると、随分マイルドだと感じた。もしピカソのゲルニカの都市爆撃が生々しかったら、今日まで名作として残ったかどうか? 悲劇を伝え続けることの難しさを感じる。

原爆の悲劇は二度と繰り返してはならない。
しかし人間には記憶が風化し癒されることも、又必然なのだ。今日8月6日、8月9日、広島と長崎に75年前に原爆が投下された日だ。