靴屋のマルティン子ども達のクリスマス劇第2話―私達はありあまる物と情報で必要なものを見失っていないか?

靴屋のマルティン子ども達のクリスマス劇第2話―私達はありあまる物と情報で必要なものを見失っていないか?

クリスマスの児童劇の第2話、小中学生による「靴屋のマルティン」

年老いた靴屋のマルティンは、クリスマスが近いので神様が姿を現すと待ち続けます。

夜やってきたのは母子。明日子どもが教会に行くときに履く靴を修理して下さい。クリスマスに教会に行くためなら、夜なべで直しましょうとマルティン。

翌朝クリスマスの日、外は雪、雪が降る中雪かきの男性が寒さで震えている。家に招き入れ、自分のスープをふるまうマルティン。

次に街で野菜売りの年寄からトマトを盗んだ子どもが捕まった。マルティンは家に帰って自分のお金でトマトを買って与えようとする。その気持ちが野菜売りを動かし、お前もお腹が空いていたのだろうと許される。それに応えて子どもは野菜売りの重い袋を代わりに背負って歩き出す。

見送るマルティン「良かったなあ。でもクリスマスなのに神様は来なかったなあ」と、その時声が聞こえた。「マルティン、見なかったのですか。靴を直しに来た親子、温めてあげた雪かき、野菜売りと子ども、その中に私はいるのです」

子ども達のクリスマス劇を観て考えた。現代の日本はありあまる物と情報の中で、生きるための本当に必要なものから遠ざかってしまったのではと。

「靴屋のマルティン」の劇の原作はトルストイと言われているらしい。