日本の大学の授業の中心は日本語だ。日本の大学入試に英語の「話す力」のテストが必要なのか?この際原点に立ち戻って議論すべきだ

日本の大学の授業の中心は日本語だ。日本の大学入試に英語の「話す力」のテストが必要なのか?この際原点に立ち戻って議論すべきだ

日本国民1億2500万人の公用語は間違いなく日本語だ。そもそもアメリカ等の多民族国家には公用語という概念があるが、日本の法律には公用語という規定はない。日本語が当然の前提だからだ。さらに日本人の大多数は人生の大半を日本国内で過ごすのだから他国語を使わなくても生きていける。

一方、英語が英・米というネイティブから始まって世界中の共通語化しているのも事実だ。とりわけインターネットの普及により、さらに身近な汎用語として生活の中に入ってくる。

日本語自体も様々な外国語に影響を受け変化している。言葉は生きているからだ。

大事なことは日本人が誇りをもって母国語である日本語をしっかり学び、日本文化を身につけ、その上で他文化・他言語を学ぶことだ。だからこそ義務教育の小・中学校教育の中で国語教育の充実が大事なのだ。

私は、かつてオランダのロッテルダムを訪問、南オランダ州知事と2時間対話したが、そのかたが「日本の明治維新は素晴らしい。無血革命だから」といって明治維新や日本の文化に言及したのには驚いた。話題は最近の若い世代や世界情勢など多方面にわたった。

英語が出来ることも重要だが、自国の歴史・文化・政治・経済や自分の専門分野等はもっと重要だ。大学は英語学校ではない。