尖閣諸島はいつ頃から日本領となったのですかとの問い合わせー明治28年(1895年)です。

尖閣諸島はいつ頃から日本領となったのですかとの問い合わせー明治28年(1895年)です。

6月9日付ブログを読みました。かつて土屋さんは尖閣諸島の視察をしに行かれたとの話をお伺いしましたがと武蔵野市民からの問合せ。

私は平成18年(2006年)新人の衆議院議員十数名と尖閣諸島を空から視察をしました。沖縄の自衛隊基地から哨戒機P3Cに乗り沖縄ー尖閣ー日中中間線ー沖縄というコースで視察してきました。尖閣諸島の中で一番大きい魚釣島明治から戦前の昭和15年まで沖縄の古賀辰四郎さんとその一族がこの島を明治政府から借り受けて缶詰工場などを操業していました。P3C哨戒機の上空から見ると平坦な土地があり船着き場と思われる岩礁を掘り込んだ溝がくっきりと見えました。P3Cは潜水艦の探知が任務なので極めて低空を飛行でき居留地の跡がよくわかりました。

最盛期は200人を超える人が住んでいたのです。記録によると明治17年に先述した古賀辰四郎さんが沖縄県に借地願いを申し出て、明治政府は翌年明治18年から再三、現地調査を行い、尖閣が無主の島であることを確認し、標杭を立て明治28年に沖縄県に編入しました。その後大正8年(1919年)中国の漁民が島に漂着。それを助けた日本に対する中華民国からの感謝状が残っているのを写真で見ました。それによると日本帝國沖縄県八重山郡尖閣諸島と明確に書いてあるのが読めます。尖閣諸島は中国も認めていた日本国の領土であることは歴史的にも様々な証拠が残され疑いの余地がありません。

中国が自国領土だと主張するようになったのは昭和44年(1969年)国連の調査団が東シナ海の大陸棚に石油が埋蔵されている可能性に言及し調査報告書を出したことがきっかけです。その2年後の昭和46年台湾外交部と中華人民共和国外交部が領土主張をし始めたのです。埋蔵する石油目当てとしか考えられません。そもそも昭和35年1690年4月第一版の北京市地図出版社発行の琉球群島の地図には中国と日本の境界線が台湾の近くに引かれ尖閣は明らかに日本の領土であることを認めているのです。この地図帳には中国人民解放軍による赤い字の毛沢東語録まで挿入されており数年前に自民党原田義昭衆議院議員が国会で取り上げ質問していたのです。

このように領土問題は絶対に譲ってはならない基本中の基本です。