コミュニティバス第一号、ムーバス吉祥寺駅東まわり構想から5年、数々の難関を関係者の智恵と努力で乗り越え1995年11月26日出発オーライ

コミュニティバス第一号、ムーバス吉祥寺駅東まわり構想から5年、数々の難関を関係者の智恵と努力で乗り越え1995年11月26日出発オーライ

1991年10月、第1期の研究会を立ち上げてから足かけ4年2期、3期と研究、検証をすすめた。運輸省は福祉バスではなく道路運送法第4条の普通の路線バスとして認可。警視庁は狭い道は一方通行規制、合わせて市が道路整備を条件に同意、日野自動車は車体メーカーとして幼稚園バスのシャシーに2ドア、背高の天井、高齢者が握りやすい握棒、ドアの階段にステップをつけ乗りやすく等々、JR東日本は高架下の道路幅の拡張で、ムーバスが通りやすいようにしてくれた。関東バスは一定の補助金を条件に運行を引き受けてくれた。運賃は明解に未就学児ゼロ、小学生以上一律100円だ。

無制限に補助金を出すわけにいかないので、バス一台一日500人乗車を基準にバス会社にも経営努力をしてもらうことにした。吉祥寺駅東まわり路線が15分間隔で走り出して一ヶ月、乗客一日1000人、バス一台500人を超えたのは12月の雪の日であった。

この日、私はコミュニティバスの成功と定着を確信した。

ムーバス