西岡市長の今回の発言「市役所問題は長年停滞していたのを私が動かした。是非続けさせてほしい」と、これはまた、4年前のペテンを思い出す。

西岡市長の今回の発言「市役所問題は長年停滞していたのを私が動かした。是非続けさせてほしい」と、これはまた、4年前のペテンを思い出す。

今回の小金井市長選挙にあたって西岡市長は市役所建設問題は自分が市長だから動かせたという主旨の発言を記者会見などで繰り返し主張している。事情をよく知らない有権者はなるほどと思う人もいる。しかし真実は違う。20数年にわたる大久保市長、稲葉市長の努力が実ったからなのだ。以下要点を書きます。

市庁舎建設問題の背景

① 平成4年バブル期末期に蛇の目ミシン工場跡地が売りに出され当時の大久保市長は120億円で購入を決意、市議会は全会一致で可決した。契約の内容は40億円を支払い、残り80億円20年間にわたって分割払いをする。毎年4億円です。

② 平成24年20年間の支払いが完了してようやく市有地として活用できることになり、当時の稲葉市長のもとで基本構想の取組みが始まった。

③ 一方、昭和46年~56年まで共産党主導の永利市長時代に学校警備員や現業職員など一挙に400人近くを本採用化したため、小金井市の財政は極端に悪化、歳出に占める人件費は40%を超え全国ワーストワンとなった。市民のための投資にお金がまわらない時代が長く続いた。

④ 大久保、稲葉両市長時代の合計28年間に職員定数を削減し、西岡市長の就任した平成27年には人件費の割合は20%を切るところまで改善した。

⑤ さらに武蔵小金井駅南口再開発事業を国や都の支援を受けて、共産党や民主党の反対を押し切って推進した結果イトーヨーカドーを始め高層マンションの固定資産税や住民税の増収(年間2~3億円と見積もられる)があり、財政的余裕が出来たのである。

⑥ これら20数年間の努力を要約すると

・80億円の借金を返済したこと

・行革によって人件費を削減したこと

・再開発によって人口増と固定資産税等の増収が計られたこと

によって市の財源に余裕が生じ、市庁舎問題に取組む時期がきたのである。

西岡さん自分一人でやったようなことを言うと4年前の嘘公約の再現になりますよ。

私がなぜこんなことを書けるのかと言えば、昭和41年に武蔵野市職員となりその後、市議会議員、昭和58年には武蔵野市長として隣接する小金井市政の顛末をずっと見続けてきたからです。

西岡さん、市長は真実をしっかり市民に伝えることが総ての出発点です。