明石市長 用地買収の遅れで部下に暴言、責任を取って辞めたがかつて武蔵野市でも吉祥寺駅北口で同様な状況におかれた

明石市長 用地買収の遅れで部下に暴言、責任を取って辞めたがかつて武蔵野市でも吉祥寺駅北口で同様な状況におかれた

交通事故が多発する道路で拡張して安全を計ろうとした兵庫県明石市、用地買収の遅れに業を煮やした市長が「立ち退きのために火を点けて捕まってこい」と部下に怒鳴ったという。その発言が録音され市長選挙を前にして公開。政争がらみと思える。市長はパワハラの批判に応えて辞職したとの報道。4月の統一地方選挙を前に辞職に伴う市長選挙が行われることになった。やる気のない職員がいたとすれば「バカヤロー」と怒りたくなる市長の立場もわかるが、同時に一工夫が必要だ。

私が武蔵野市長に当選就任したのが昭和58年5月1日だが、昭和39年から始まった吉祥寺駅北口再開発計画で駅前の27件220坪が未買収で残っていた。直前の5年間で1件も買収できずに残っていた。JR吉祥寺駅は京王井の頭線と合わせて1日の乗降客数が40万人を超えていた。駅前の超一等地、地権者が買収に応じないのである。国や都の都市計画関係者の間では吉祥寺駅北口再開発はもう完成出来ないのではと言われていた。国の会計検査院からも厳しく指摘されていた。就任早々にこの難問に直面した。用地買収の職員から直接話を聞いたが1日100万円の打上のある牛丼屋などあり、一筋縄ではいかないと覚悟した。職員にはっぱをかけたが、それだけではと思い知恵を絞った。それまで1斑2人で交渉にあたっていたのを、国鉄からベテランの用地買収係をトレードしてもらい、市の用地担当と2班で競わせた。そして話が進まなくても誰とどう交渉したか甲決済(市長決裁)で上げてくるようにと命じた。さらに事業開始以来18年経っていることに鑑みて土地収用法を適用することにして専門の弁護士2人を専門委員として委嘱した。「不退転の覚悟で執行する」と宣言し、用地部、建設部、都市開発部、職員50名を動員して強制測量も行った。これが功を奏したのか未買収地220坪、権利者27人が次々と応じてくれて実質2年で全部買収することが出来た。

機が熟し運にも恵まれたが、この件で学んだことは職員に厳しく注文をつけ叱咤激励することと共に、体制をつくること。明石市は用地買収が成功したとの事なので、市長の部下に対する叱咤が実ったと言えるのだが・・・。