トルコ中央部で、古代の“鉄の帝国”ヒッタイトの遺構発掘を続ける世界的考古学者のアナトリア研究所長大村幸弘先生の講演を聴く

トルコ中央部で、古代の“鉄の帝国”ヒッタイトの遺構発掘を続ける世界的考古学者のアナトリア研究所長大村幸弘先生の講演を聴く

トルコの首都アンカラから南東に100㎞のカマン・カレホユック遺跡を1985年から発掘を続ける大村幸弘先生の講演を、昨日3/17に東京国立博物館で聴講しました。各大学研究者をはじめ、専門家と関心の高い市民に混っての聴講でした。最初に中近東文化センター総裁・三笠宮彬子女王殿下がご挨拶なされました。トルコ地震にふれられ、5万人を超える犠牲者に哀悼とご家族の平安を祈りますとスピーチされ、参加者は1分間の黙とうを捧げました。

その後40年近くに及んだ発掘についての大村先生の研究成果の一端が語られました。

カマン・カレホユックの意味については「カレ」は城壁、「ホユック」は遺跡を表しています。トルコ全体で大小一万近いカレ、ホユックがあるため、近くの村の名前「カマン」を頭につけて現場の名前にしているといいます。遺跡は直径280m高さ16mのスケールで円丘を成しており、この付近は古代から歴史の十字路と言われ、数千年に渡って異民族の興亡が繰り返され、そのたびに古い都市を壊し、その上に都市を作るという作業が行われ、幾層にも渡って歴史が積み重なっているという。

その中でBC1500年頃に鉄の文明を築いたのがヒッタイト帝国だといいます。3500年前に遡る話で、専門分野のことは私には十分理解できませんが印象に残ったのは
① 古代エジプトとの交流と戦いがあったこと。軽戦車の戦いで車軸に鉄・鋼を用いたヒッタイトが強かったこと。
② ヒッタイトは、現在のトルコからイラン・イラク等の古代メソポタミアに影響力をもったこと。
③ 現代社会では、英・独・仏などのヨーロッパ大陸の国々にとって文明の祖形のような意識があること。

そのため、発掘当初は何で日本から来るんだ?という空気だったとのこと。特にお話で印象に残ったことは、炭素分析法による年代の確定法は日本が世界の先頭を切っていて、極めて精度が高いことなどです。

なお、この文章は大村幸弘先生が数日前に事務所にご挨拶に来られた時の意見交換と今回のご講演との中から総合して書きました。大村先生とは私が武蔵野市長時代から中近東文化センターの活動を通じた35年に渡るご交誼をいただいています。

大村先生のアナトリア研究所が世界史の編年を変えるような大発見につながるようお祈りするとともに、大村先生のご活躍が日本のプレステージを上げていると誇りを感じました。

アナトリア考古学研究所は同地域のビュクリュカレとヤッスホユックの二つの発掘調査も始めていて、各々に研究者から報告がありました。