松下市長、国連の児童の権利に関する条約には“父母”が23回、“家庭・家族”が6回出てきます。武蔵野市の子どもの権利条例は記述ゼロ。これで本当に子どもが守れますか?

松下市長、国連の児童の権利に関する条約には“父母”が23回、“家庭・家族”が6回出てきます。武蔵野市の子どもの権利条例は記述ゼロ。これで本当に子どもが守れますか?

武蔵野市の子ども権利条例は、国連の「児童の権利に関する条約」を基にして作ったと説明している。この二つを比較すると“子どもを守る”姿勢が根本的に異なっている。

「児童の権利に関する条約」には、子どもの権利を守り保障する主体は父母であり、家庭が大切だという“良識”が色濃くにじみ出ている。前文に“家庭”の大切さがうたわれ、本文には“父母”が13条にわたって合計23回も出てくる。

生命は“父と母”(婚姻していても、事実婚であっても)の愛情と生殖によって、この世に生まれ出る厳粛な生物としての誕生だから当然といえる。誕生した生命は父と母の絶え間ない愛情と看護と養育によって成長していく。国連の条約は生命誕生と成育の大原則が記されていて、その上で学ぶ権利や医療や社会保障を受ける権利が列記されている。武蔵野市子ども権利条例には“市と保護者”が連綿と記されているが、肝心の“父母”は、どこにも書かれていない。

国連の「条約」とそれを基にした「条例」とは、決定的な違いがある。人間とは何かという根本的な視座が欠落している“反道徳的”条例だと考える