三陸鉄道、3月20日に全線運行再開―中村社長と国土交通省、総務省、自民党総務会長、JR東日本社長等に挨拶

三陸鉄道、3月20日に全線運行再開―中村社長と国土交通省、総務省、自民党総務会長、JR東日本社長等に挨拶

三陸鉄道は岩手県の沿岸を、久慈市から宮城県境の盛まで全長163㎞、第三セクターでは日本一長い鉄道だ。
2011年3月11日の東日本大震災では、壊滅的打撃を受けて、長く運休していた。南北163㎞のうち、釜石~宮古間はJR東日本の山田線だったが、海の近くを走っていたため、とりわけ被害が大きかった。一時、鉄道に代えてB.R.T(バス・ラピッド・トランスポート、専用ガイドウェイをバスが走るシステム)にするという復興案もあった。しかし地元住民の鉄道で復旧を! という強い要望があり政治問題となった。

地元市町村を中心に国、県、JR東日本との協議が重ねられ、
①全額JR東日本の技術と費用で復興する
②完全に復興したら第三セクターの三陸鉄道に移管する
③JR東日本は経営移管協力金として30億円寄附する
という取り決めがなされ、昨年平成31年3月22日、8年ぶりで全線が開通した。私も記念列車にご招待をいただき復興大臣、国土交通省副大臣や、岩手県知事、JR東日本社長、地元鈴木俊一代議士等とご一緒して、記念列車に釜石から宮古まで乗車した。

驚いたのは沿線の住民の方々の熱狂的な歓迎ぶりだった。駅に停車する度に大漁旗を振る大勢の市民、駅間でも沿線の家々から列車の通るのを待っていて、歓迎の横断幕、車椅子の人が庭に出て手製の歓迎旗を振っているのには胸がつまる思いだった。
鉄道は単なる乗り物ではない。地域が繋がる命綱の象徴だと実感した。開業してから沿線住民と同時に全国から鉄道ファンが駆けつけ乗車、営業成績も上々で素晴らしいスタートを切ったのだが、わずか半年後の9月12日、史上稀に見る雨台風19号のため、土砂崩れで全線77ヶ所にわたっって、線路が寸断されてしまった。昨年の10月、中村社長と共に国土交通省、総務省、自民党、JR東日本など窮状を訴え一日も早い復旧をとお願いした。地元鈴木俊一代議士も自民党総務会長として、各省を督励して頂いた。激甚災害の指定も受け、昨秋から復旧工事に入り、実質上全額国庫負担で今年の3月20日に復旧開通することになった。
国土交通省の水嶋鉄道局長や、総務省黒田事務次官他、自民党総務会長鈴木俊一代議士、JR東日本深沢社長等、皆さんが運転再開を喜んで頂いた。