グアム島、太平洋戦争の激戦地を慰霊訪問

グアム島、太平洋戦争の激戦地を慰霊訪問

7月7日夜~7月9日に2泊3日で、グアム島を訪問した。

 武蔵野市の松本平太郎さんが主宰するピースリング・オブ・グアム・ジャパンに同行し、8日は激戦地の又木山・ジーゴ・マンガン山付近とアンダーソンバックゲート及びアルガット等の三か所で慰霊碑とその周辺の清掃活動を行った。

 小畑軍司令官が、最後に指揮をとった又木山周辺はきれいに整地され、慰霊塔が立っていて、近くには日本人によって建てられた平和寺という小さなお堂がある。

 この平坦地から沢筋に降りていくと、竹林の中に日本兵が隠れていた洞が四穴あった。今は埋められていて、中に入ることが出来ない。その横に鉄筋コンクリートづくりの水槽があり、下の沢から水を汲み上げていたという。

 この付近は、野戦病院となっていたというが、末期には天幕ひとつなく、医療品もない野天の野戦病院だったという。

 グアムの戦闘は、1944年7月21日~8月10日、日本軍の犠牲者18500名、捕虜1250名、米軍2124名、負傷者5676名と数字が1桁まで記録され、ネットに掲示されている。記録されているのは米軍が勝者だからだろう。

 清掃に参加された方々は、日本から訪問した10名と現地の方々20数名、計30名を超えていたが、意外に慰霊塔、平和寺、洞窟周辺も竹林や雑草が刈られて整備されていた。二週間ほど前に、海上自衛隊員50名が草を刈り清掃したという。

 尚、現地の先住民のチャモロ人の犠牲者は、千数百人におよぶとされている。

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