生き残り帰還兵、星一男さん(87歳)、敗戦後ジャングルに逃げて7年、昭和27年に発見され帰国した

生き残り帰還兵、星一男さん(87歳)、敗戦後ジャングルに逃げて7年、昭和27年に発見され帰国した

●私は福島で生まれ、4歳の時に父母とサイパンに来て14歳まで過ごしました。

●気象士として、14歳で軍に徴用されグアムに来ましたが、気象の仕事はほとんどしないで、戦争の毎日でした。

●グアムで与えられた武器は竹槍、みんな死ぬと思っていた。

●米軍に撃たれるのは、頭か心臓にして欲しい。腹を撃たれると苦しみ抜いて一昼夜も生きる。

●マンガン山に突撃を命じられた時は、もう最後だと思ったが、大本営から中止命令と退避命令が出て、密林に入って逃げた。

●密林の中では、7年間食べられるものは何でも食べた。最初は数10人で集団生活をしていたが、だんだん少なくなり、最後は4名ずつ2班となった。

●アガト村付近で、鹿を撃ちに来た村人に出会った。この人が現地の人と結婚した日本人だったので助かった。

●米軍に引き渡された時、カービン銃を持っていたので、銃はどこで手に入れたのか、何人殺したのかと尋問され戦犯で処刑されるかと思った。

●カービン銃は戦場で死んだ米兵から、また弾薬も手に入れた。山中の数か所に分けて銃と弾薬を隠していた。

●発見された時は、サンフランシスコ平和条約が締結されていたので、米軍から尋問を受けたあと「貴方は戦犯ではありません。ゲストです。」と釈放された。

●一番知りたかったのは、父母兄弟のことだったが、サイパンで生き残ったのはおじさんだけだったと聞いた時はショックを受けた。

●日本へ帰り、警察予備隊に入隊、2年間北海道網走で過ごした。南洋育ちの身にとって、マイナス20度は堪えた。

●2年で除隊し、その後戦友に誘われ事業を起こし、今は息子に譲って引退した。

 今は岩手県に住んで、250坪の畑で野菜を作っているという星さん、背筋を伸ばし、坂道を足取り軽く登っていく。87歳の堂々の帰還兵だ。

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