今年もグアム島戦没者慰霊祭に参加、現地日本人会を中心に100人を超える方々が慰霊碑周辺を清掃

今年もグアム島戦没者慰霊祭に参加、現地日本人会を中心に100人を超える方々が慰霊碑周辺を清掃

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7月6・7・8日友人の松本平太郎さんが主宰する「ピースリング・グアム・オブ・ジャパン」の一員としてグアム島を訪問。南太平洋戦没者慰霊協会が主催する慰霊祭に参加した。

松本さんは叔父様がグアムで戦没している。グアム準州副知事をはじめ、日本の関泉総領事、現地日本人会の皆さん、日本からは南太平洋戦没者慰霊協会々長衛藤晟一参議院議員、高井事務総長等が参列した。川崎大師の藤田貫主も毎年異例の読経をして下さる。米国側はキリスト教司祭のお祈りだ。

日本軍の占領した米領グアムに米軍は昭和19年(1944年)7月21日に上陸し日本軍と戦い8月6日には実質上、全島制圧した。わずか16日間で制圧されたことになる。日本軍2万人、米軍1,800人現地チャモロの方々1,000人以上が犠牲になった。

戦死した2万人のうち日本にご帰還した御遺骨は、公式には500柱に過ぎない。ご遺骨収集が最も遅れている地域のひとつだが、米国領で米軍基地が広大な面積を占めていることも原因のひとつと言われている。

ちなみに大東亜戦争(昭和16年12月から始まった太平洋戦争と呼称される日本政府の正式な戦争名)で戦没した軍人240万柱、そのうち半数約120万柱のご遺骨がご帰還。残り120万柱のうち軍艦の乗組員として水没した方々が30万柱である。

安倍内閣となって未帰還者のご遺骨収集を促進するため議員立法で「促進法」を制定し人員・予算を倍増した。戦後80年までの集中期間と位置付けている。

ご遺骨が発見された場合DNA鑑定等を行い、日本人であることが確定すると許可されてご帰還となる。人物が特定できない場合は千鳥ヶ淵墓苑に納骨する。政府は総理出席の下、毎年慰霊祭を執り行っている。

昨年に引続き、グアムの戦場の生き残りの元兵士、星一男さんもお元気で参加。戦没者の御霊を弔った。

日本軍の戦いの最後の洞窟は計4本。60数名が自決した。熱帯の密林で成長の早い竹が生えているせいで、植物で鬱蒼としている。現地日本人会の若手を中心に100人以上が鋸やナタ等で竹を切り、1時間かけて清掃し、慰霊碑の前で線香をあげ黙禱した。戦後生まれの若い世代が率先して清掃しているのを見ると心強い。

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