二階幹事長は今回のような大台風、天災がおこることを想定して10年前の野党時代から国土強靭化の旗振りをし、社会資本整備を進めてきた第一人者だ。国民生活安全のためにこれからも計画的投資を先導して欲しい。

二階幹事長は今回のような大台風、天災がおこることを想定して10年前の野党時代から国土強靭化の旗振りをし、社会資本整備を進めてきた第一人者だ。国民生活安全のためにこれからも計画的投資を先導して欲しい。

2009年自民党は野党に転落してもう10年は政権に戻れないだろうと言われた。当時、二階先生は70歳、政治家として熟成の時をむかえていた野党時代に後世に残る仕事として「国土強靭化政策」を打ち出し、各界の一流の方々に呼びかけ、5年にわたり、120回もの勉強会を主宰した。 当時は民主党の全盛時代で「コンクリートより人へ」など空疎なスローガンがマスコミ受けした時代に、あえて人間生活を支える社会資本の整備の旗を振ったのだ。

二階先生の出身は和歌山県、度々津波に悩まされていた地域だ。ヤマサ醤油のオーナー濱口梧陵さんが私財を投げうって堤防を築いたのもこの地域で「稲むらの火」として有名だ。二階先生は政治家としての総仕上げを、野党であってもふるさとの災害防止のため、また日本国民のために力を尽くそうと決意したに違いない。私もその志の高さと実行力に打たれて浪人時代から100回以上学ばせて頂いた。「津波対策基本法」を議員立法で国会に提出したのもこの頃だ。当時の政権政党民主党はこの津波対策基本法に見向きもしなかったのである。前原国交大臣が「八ッ場ダム中止」を宣言したのもこの頃だ。やがてM9という未曽有の大震災と大津波が岩手、宮城、福島と中心に襲い2万人を超える犠牲者をを出す大災害となった。当時の菅直人首相のうろたえぶりを昨日のように思い出す。

二階先生は自民党が政権復帰すると、国土強靭化政策について阿修羅の活躍をされ首都直下地震対策特別措置法や東南海地域に対する特別措置法もつくりあげた。ちなみに私も福井照先生などの指導で首都直下地震対策特別措置法の提案者となった。二階先生の努力が実り、国民生活の安全を守るための公共事業は今日では「強靭化特別枠」予算までつくようになったのだ。二階先生は最近ではアメリカの巨大ハリケーンも心配されておられた。マスコミは二階先生の一言一句で揚げ足取りをして国民に誤解を与えてはならない。河川の強靭化も含めこれからも二階先生にリーダーシップをとって頂こう。国民が安心して暮らせるために。