JR東日本元社長 松田昌士さんのお別れ会に弔問。松田さんの決断で中央線三鷹ー立川間の連続立体交差化事業が完成しました
松田元社長は国鉄の分割民営化を進めた改革派職員の筆頭だった。30兆円の赤字の国鉄を分割民営化し、昭和62年4月にJR東日本鉄道株式会社が発足すると常務取締役総合企画本部長に就任、運輸省出身の住田社長と二人三脚で改革と新事業展開に取り組み、今日のJR東日本の基礎を築きました。国鉄時代は鉄道事業だけしか出来なかったが、ルミネやホテル事業、スイカ、高架下事業等の各方面に新規事業を立ち上げ、鉄道収入70% 関連事業収入30%の今日のJR東日本の姿を作ったのです。
JR中央線三鷹ー立川連続立体交差事業は東京都の都市計画事業ですが、JR東日本の全面的な協力がなければ進展しません。私は昭和63年暮れにJR東日本の投資計画部を尋ね、三鷹ー立川間の事業促進をお願いしました。その時に対応してくれたのが細谷英二投資計画部長(後のりそな銀行会長)でした。細谷部長が松田常務に上げてくれて、GOサインが出ました。それを受けて、都が平成元年の予算に1億円の調整費を計上したのが三鷹ー立川間の連続立体交差事業が具体的に進みだしたきっかけでした。当時の鈴木俊一都知事とJR東日本の松田昌士常務の決断が無ければ、中央線は今でも地上を走っていて18か所の開かずの踏切で大渋滞が続いていたに違いありません。
松田昌士元社長に献花をして、心からの感謝とご冥福をお祈りしました。
おかげさまで、三多摩全体の交通の流れが今日の繁栄をもたらしました。
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