G7広島サミットの各国首脳は、広島平和記念資料館の視察を!

G7広島サミットの各国首脳は、広島平和記念資料館の視察を!

78年前の昭和20(1945)年8月6日午前8時15分にアメリカは広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下しました。爆発の衝撃波、超高温、熱波に焼かれ14万人が死亡しました(広島市公式HP)。非戦闘員の市民です。

この惨劇は中学生時代に「原爆の子」という映画を観劇して、広く我々の世代は知っています。私が最初に広島平和記念資料館を訪問したのは、社会人となって間もない昭和42(1967)年のことです。すでに投下後22年が経過し、さらに資料館開館(昭和30(1955)年)から12年が経過していましたが、生々しい写真をはじめ、焼けただれた生活用品等の資料によって、20代半ばの私は物凄いショックを受けたことを昨日のように思い出します。

の後、33歳で武蔵野市議会議員、41歳で市長となりましたが、広島に行政視察に行った時は公務の合間をぬって3度訪問しました。行くたびに展示の生々しさが薄れ、マイルドになっていることに気がつきました。資料館の責任者にそのことを聞いたところ「あまり生々しいと、ショックで倒れてしまう高校生などがいて、広島には二度と来たくないというのです。それでは困るので、表現を柔らかくしました」と語っていたのが印象的でした。

人間は、忘れなければ生きていけないということもあるでしょう。しかし原爆は、正視することが困難なほど酷すぎるのが実態でしょう。

78年経過した今日に開催されるG7サミット。各国首脳に是非、広島平和記念資料館を観てほしい。