「石破さんは責任をとって辞めろ」という人がいる。55年体制の幻影に生きている人だ。国民は参議院選挙で11の政党を選んだ。自民党は絶対少数比較多数の政党となった。国政の最高機関の国会に議席を有する総ての政党に責任がある
1955年に保守合同し自由民主党が誕生し、この年、社会党も左派と右派が合体して55年体制と言われる政治体制が誕生した。国会の議席は自民党が2、社会党を中心とする野党が1で国会の議席は2対1の比率で推移した。だからこそ政治が行き詰まると自民党のトップの総理・総裁を交代して政権を維持してきた。
三木・田中・大平・福田・中曽根の三角大福中とか、その後の安竹宮。田中派7奉行やYKK等、自民党の中の勢力争いに勝った者が総理の座についた。55年体制の自民2、野党1の体制が盤石だったからこそ、人間臭いドラマが注目を集めたのである。
55年体制に翳りが見えたのは1993年の細川内閣だが、以来30年の歳月が流れ、自民党は衆・参で比較第1党だが、公明党と合わせても絶対多数は取れなくなった。その象徴が先の参議院議員選挙の結果だと思う。
私は自民党員として全力を尽くしたが、大きな時代の潮流を感じる。こういう現実をしっかり受け止めないと国政を責任を持って運営出来ない。
衆参両院に議席を持つ与野党の現役の議員の皆さんの責任は、極めて重くなりました。私たち国民も、覚悟して政治に参画する時代が来ました。
新しい政治スタイルが確立するまで、今は階段の踊り場にいます。停滞、混乱を超えて新しい政治を作りましょう。
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