李登輝先生ご逝去。台湾人の為の台湾を骨太にデザインして実現した大政治家

李登輝先生ご逝去。台湾人の為の台湾を骨太にデザインして実現した大政治家

李登輝さんは戦前は台湾生まれの日本人として京大に学びました。22歳までは日本人でしたと語っています。1945年8月15日日本の敗戦によって中華民国に国籍が変わりその後、毛沢東率いる中華人民共和国成立とともに蒋介石は台湾に逃れ、中華民国は台湾省のみ実質支配する国となりました。その時から李登輝さんの人生最大の命題は台湾人による台湾をつくるというころだったように思えます。

台湾生まれの台湾人と中国本土から逃れてきた中華民国の支配層との抗争は時には命懸けでありました。事実、白色テロがあり、大勢の人が殺害されたのです。いわゆる本省人外省人の争いです。本省人李登輝さんはやがて外省人の蒋経国(蒋介石の息子)に認められ、国民党の中枢で活躍し、やがて台北市長や台湾省主席を務めました。そして蒋経国亡き後、1988年中華民国総統に就任しました。台湾生まれの本省人が外省人のつくった中華民国の総統となったのです。その後1996年には中華民国総統を直接選挙で選ぶ「民選」を実現して当選しました。ここに民主主義国としての「台湾」の実質が始まったのだと思います。

さらに凄いのは2000年に行われた総統選挙です。李登輝さんは通算12年の人気を終了し、国民党の候補に連戦さんを指名しました。対立する民進党は陳水扁さんでした。連戦さんは必ずしも人気のある候補者ではなかったと言われていますが、あえて候補者としました。陳水扁さんを勝たせるのが目的だったと当時言われています。選挙では李登輝さんは連戦さんを一生懸命応援したのですが、マスコミは「表演」(ジェスチャー)と書きました。陳水扁が勝ち、台湾の戦後を支配し続けた国民党政権は途絶えたのです。陳水扁政権は様々なスキャンダルもあり、その後国民党の馬英久総統が誕生。国民党の復活が中華人民共和国寄りの政治の継続などと言われました。中華人民共和国はこの間、経済的なプレッシャーや軍事的圧力を一貫して与え続けました。しかし、2016年民主進歩党の蔡英文候補が当選し、本省人台湾人の統治が完成したと言えましょう。蔡英文氏は李登輝さんの秘蔵っ子と言われています。

長年にわたって誤解を恐れず風、雪に耐えながら台湾人のための台湾を目指し台湾と中国とは異なる国と主張してきた李登輝さん、その骨太の生き方に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。