八年前の3.12、当時の菅直人総理はヘリで福島原発に乗り込んで吉田所長以下の必死の作業を中断した。その日の午後ベント不成功で水蒸気爆発が起こった

八年前の3.12、当時の菅直人総理はヘリで福島原発に乗り込んで吉田所長以下の必死の作業を中断した。その日の午後ベント不成功で水蒸気爆発が起こった

3.11東日本大震災は2万人以上の方々が犠牲になり、戦後最大の自然災害となった。お亡くなりになった方々や行方不明の方々のご冥福を心からお祈りし、一日も早い復興を改めて決意している。

国会図書館で当時の新聞縮刷版を読み返すと、生々しい記憶がよみがえる。福島原発は津波によって全電源が喪失し、原発冷却水の循環が停止、制御不能になった。吉田昌郎所長以下の職員が命がけで制御に取り組んでいた。そこへ当時の菅直人総理がヘリで乗り込んだ。作業は一時中断だ。後の述懐によると吉田所長は「総理の対応は本社ではないのか、何故現場の自分がやらなければならないのか」という趣旨の、血を吐くような発言を東電本社とやりとりしている。菅直人総理は政治ショー、パフォーマンスのために現場で苦しむ人々を妨害したことになる。総理が帰京した後の12日午後、ベントに失敗し水蒸気爆発が起こったのである。

当時から指揮官が本部を離れたら、危機管理上問題との指摘があった。福島を中心に4万人超の人々が故郷に帰れず、仮設住宅で暮らしている事を考えると心が痛む。責任が重ければ重いほど、言動の影響が大きい。3.11東日本大震災の被害の大きさを風化させてはならないが、同時に政治責任者の言動も、長々記憶に留めなければならない。