「ある明治人の記録、会津人柴五郎の遺書を再読」

「ある明治人の記録、会津人柴五郎の遺書を再読」

万延元年(1860年)生まれの会津人柴五郎は1900年北京の義和団事件で活躍し後に陸軍大将になった人だ。

会津藩は戊辰戦争で幕府側につき、藩挙げて明治政府軍と戦い玉砕した。柴五郎は8歳でこの戦いに遭遇し家族がほとんど死亡した。

会津藩はその後、朝敵として下北半島に移封され斗南藩となった。山背吹く寒冷地は作物が出来ず塗炭の苦しみを味わう。飢えによって死んだ犬の肉さえも食べたという。

柴五郎は苦難の少年時代を過した後、陸軍に入る機会を得て活躍が始まった。

柴五郎の真骨頂は1900年北京で義和団事件が起こった時、駐在の欧米大使館関係者と連携し、わずかな武官を連絡指揮して55日間にわたった守城戦を戦い抜いたことだ。

当時の柴中佐は各国の外交団を鼓舞激励し国際法を遵守し勝利に導いたが、このことが欧米の日本に対する評価につながり日英同盟につながったと言われている。

「ある明治人の記録」は中公新書から石光真人著で1971年初版が出て、私も30年程前に読み感激した。

最近外務省の幹部と話していて明治人の活躍とりわけ柴五郎が話題となり改めて購入し、読み返して再び感銘を受けたのでこの本を取り寄せ、若手の外交官や若手の自民党国会議員に薦めている。

さらに詳しい評伝は光人社から村上兵衛著「守城の人」が出ている。

柴五郎のような公正無私かつ使命感に燃えた強靭な人物を、多数輩出した幕末から明治の時代、その上にあって今日の日本の繁栄が築かれているのだ。

「ある明治人の記録」は石光真人さんの著書だが、真人さんの父石光真清さんも傑出した明治人の一人で、日露戦争前後にハバロフスク等ロシアを舞台に諜報員として活躍した。

中公文庫から自叙伝「城下の人」他四部作が出ている。

それにしても、「ある明治人の記録」は1971年の初版以来44年に亘って56版を数えているのには驚く。

物事の核心に迫ろうとしている日本人の読者が多数いることに感銘する。

間もなく終戦70年